4月24日の金曜日、新宮CoCoスクエアで「チーム新宮」の第1回を開催しました。
15名ほどが集まって、缶ビール片手に、ただただ話をする。それだけの会です。
チーム新宮の説明から始めて、「何かを計画しているわけではなく、何かを仕上げるわけでもなく、とりあえず会うを目的に集まりました」と私が話したあと、せっかくなのでと、みなさんに自己紹介をしてもらいました。
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この自己紹介が、すでに面白くてですね。
名前と、新宮との関わりと、好きなことを、ゆるく話してもらっただけなんですが、聞いているうちに「あ、この人とこの人、絶対話が合うな」とか、「この組み合わせ、初めて見るな」とか、勝手に頭の中で線が引かれていく感覚がありました。
自己紹介が終わったあとは、もう完全に流れに任せました。
立花家の歴史の話が出たかと思えば、アニメの話になり、いつの間にかカラオケ部の話に移っていく。それぞれが好きなことを、好きなように話している。
不思議だったのが、初めて新宮CoCoを訪れた人がひとりもいなかったこと。2回目の方、3回目の方、あとは常連の方々。告知はFacebookイベントとサイトの記事くらいしか出していないので、そういう意味では自然な集まり方だったのかもしれません。
そして面白かったのが、「え、ここでつながってたの?」という再会が何度も起きたこと。AさんとBさんが実はずっと前からの知り合いだったり、CさんとDさんが共通の知人の話で盛り上がったり。
新宮って、そこそこ大きな町のはずなのに、こうして集まるとやたらと接点が出てくる。
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少し調べてみたら、こういう「目的のない集まり」というのは、世界的にも一定の注目を集めているらしいんですね。英語だと「Third Place(サードプレイス)」という概念があって、家でも職場でもない第三の場所が人の幸福度に影響するという話です。スターバックスが初期に掲げていたコンセプトとしても有名ですが、元はアメリカの社会学者レイ・オルデンバーグが提唱したものです。
ヨーロッパのカフェ文化、日本の銭湯、イギリスのパブ。どれも「目的がないから長居できる」という共通点がある。
目的がある場所は、目的が終わったら帰る場所になってしまう。
で、ここからは私の仮説です。
新宮CoCoスクエアで今までやってきたこと、レンタルボックスもコワーキングもカルチャースクールもラジオブースも、実はそれぞれ「目的」がはっきりしています。
売る、働く、学ぶ、話す。
どれも素晴らしいことなんですが、目的があるということは、その目的を果たしに来る人が中心になるということでもあります。
チーム新宮は、そこにあえて目的を置かなかった。
すると何が起きたかというと、普段はレンタルボックスの搬入に来ているだけの方が、実は立花家の歴史にやたら詳しかったり。いつもコワーキングでPCを開いている方が、実はカラオケ部の活動に熱心だったり。
役職も肩書きも用件も脇に置いて、ただ「新宮に関係がある人」として集まると、その人の別の面が見えてくる。
これって、たぶん、新宮CoCoスクエアがずっと目指してきた「人が関わり続けられる仕組み」の、一番素の形なのかもしれません。
偶数月の金曜日に、15人ずつ集まっていくとします。1年で6回、5年で30回。
延べ人数でいうと450人、そのうち半分がリピーターだとしても、200人以上の「チーム新宮メンバー」が地味に積み上がっていく計算になります。
そのうち誰かが「そういえばあの時、チーム新宮で話したことがきっかけで…」みたいに言い始める日が来るかもしれない。
別に何も起こらないかもしれないし、気づいたら新宮の町全体がひとつのチームになっているかもしれない。
どっちでもいいんです。
何もしない会を、淡々と続けていく。それだけで、たぶん何かが変わっていく気がしています。